《アイヌ民族》

野中 星w
【┏━━━━━━━━┓  ┃『単一民族国家』┃  ┃ 意 識 の 形 成 ┃  ┗━━━━━━━━┛】

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野中 星
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 日本において「単一民族国家意識」がいつごろ公式に形成されたのだろうか?
 第二次世界大戦前、日本は名実ともに「帝国」であって、その領土内に多くの異民族を含み、彼らを「支配」して国家を形成していた。このため、この時代には、別の問題をはらみながら、「単一民族国家」なるものが主張されるはずがなかった。むしろ、この意識は、第二次大戦後に形成された。
 例えば、1950年の国連経済社会理事会決議に従い、国連事務総長が、加盟・非加盟各国政府に国内の「少数者」の状況について報告を求めた際の法務省人権擁護局の報告は、日本国内に少数民族の存在を認めていた。報告書の中の「少数者の保護」という項目には、「北海道アボリジニー(アイヌ)の保護」という章が設けられていたのだ。ところが1953年、日本政府はILO.第50号条約(土民労働者募集条約)から脱退する。
 その理由は、敗戦において日本は属領をすべて失い、「その結果、属領の先住民に属する、あるいは彼らの同化した労働者も、また本土の従属した先住民ももはや日本には存在しない」とするものであった。
 その時以来、アイヌ民族の「同化」は完成しており、日本は「単一民族国家」である、という公式見解がひとり歩きしはじめたようだ。
 そして、その代表的なものが1986年に、日本は「単一民族」であるから「知識水準」が高い、と発言して国内外から非難を浴びた中曽根康弘元首相の次の見解である。
 「日本民族は、日本列島に先住していた民族が長い歴史の中で、南方系、北方系あるいは大陸系の諸民族と混合一体化して形成されたもので、アイヌ民族もまたその中の一つであったと考えられるが、その子孫の方々が現存していることは事実であります。そういう人をいわゆる少数民族と呼ぶか否かについてはいろいろの見解があり得ると思います」(第107国会、衆議院予算委員会、1986年11月4日)。
 つまりはこうだ――日本民族は長い歴史の中でさまざまな民族の「血」が混ざり合って形成され、そうした民族の中にアイヌが存在「した」ことは事実である。しかし、その歴史の過程でアイヌ民族はすでに「同化」しており、かつてのアイヌ民族の子孫は、決して「民族」とは呼べない。そして、1986年10月まで日本政府は、アイヌは民族ではない、あるいは、そもそもアイヌ民族という人々は存在しない、という立場を堅持してきた。
 日本では、「民族」というものを「血」、いわゆる「血統」を中心として客観的、固定的な基準で定義しようという傾向が強い。しかし、この考えは、現在の「民族」を定義する理論水準からいえば、恐ろしく旧式かつ非論理的だ。

〔『先住民族』 上村英明 解放出版社 より〕

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日本単一民族発言と他国の民族意識について

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