《新聞・雑誌記事より》

野中 星w
【 本多 勝一 ルポ再録  ┏━━━━━━━━┓  ┃アイヌ民族の現在┃  ┃<1974年 8月 5日>┃  ┗━━━━━━━━┛   週間金曜日2009.11.6 〔774号〕より抜粋編集】

〔&w〕
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野中 星
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☆彡nochiwさんのまち

 昨年(2008)6月、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆参両院本会議において全会一致で可決されたが、本多勝一氏は半世紀近く前からアイヌ民族に関心を寄せ続けている。

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┃ アイヌ民族の現在 ┃
┃ <1974年 8月 5日> ┃
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 夏休みに入ると、毎年のことながら、北海道は本州方面からの学生や観光客でにぎやかになる。東京などの大都市にも、北海道旅行をよびかけるポスターが、私鉄や国鉄の車内づり広告として見られるようになる。
 そして、そのポスターにきまって描かれるのが、アイヌ民族のエカシ(古老)である。あるいはムックリ(くちハープ=楽器)をかなでる少女の場合もある。事実、旅行者たちは、白老で登別で阿寒で、観光地にいるアイヌ民族を「見物」して帰る。だが、こうしたかたちでアイヌ民族と接するシャモ(和人)たちは、現実のアイヌ民族がどのような状況におかれているかを、ついに理解できぬままに北海道旅行を終わって「内地」に帰る。
 昔のことをいいだせば、たとえば九州に初めて住んだ人類はどこから来たのか、それと今の九州の人々とはどんな関係にあるのか、といったことは、論じ始めたらキリがない。北海道についても「最初の人類」というような次元になれば同様である。しかし、論議の余地なく明快なことは、少なくともいわゆる“大和民族”が北海道の古くからの住人ではなかった点だ。北海道へ観光旅行に出かける人の中には、あるいはそれほど「明快」ではなかった方もあるかもしれないが、北海道や千島は、歴史の上からはかなり「最近」といえるころまで、ほとんどアイヌモシリ(アイヌ民族の国土)であった。
 それがどのように侵略・占領されて「北海道」となっていったか。中央権力レベルでは、それは江戸幕府や松前藩、近くは明治政府や北海道開拓使(道庁の前身)であり、末端のレベルでは白人とアメリカ先住民(いわゆるインディアン)との関係同様、酒や「シャモ勘定」などでアイヌをだましては土地を奪ってゆく方法だった。
 では、アイヌ民族がそのようにだまされたのは、昔のことなのか、もうすんでしまったことなのだろうか。せいぜい明治までの話なのか。北海道へ旅行に出る人々よ、それは今なお延々と進行中の悲劇だということを、知ってほしい。ここに紹介するのは、つい最近の実例だ。
 日高地方は、北海道の中でもアイヌ人口が比較的多い地域として知られるが、軽種馬の牧場が多いことでも有名だ。そのある町に、アイヌ系の老夫妻がいた。娘二人は嫁に出て息子はなかった。今から14年前、夫が自転車で荷車と衝突して死んだ。おばあさん一人が家に残された。

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