《新聞・雑誌記事より》

野中 星w
【朝日新聞 2009. 8. 2 『文化』終わりと始まり 多文化の実現とウレシパ アイヌは日本どう変える?(池澤 夏樹/作家)】

朝日新聞 2009. 8. 2 『文化』終わりと始まり 多文化の実現とウレシパ アイヌは日本どう変える?(池澤 夏樹/作家)

〔&w〕

 日本は単一民族の国、という発言がしばしば政治家の口から出る。
 古くは1986年の中曽根首相(当時)、最近では2008年9月、中山成彬衆議院議員の「日本は単一民族といいますか……」という発言がある。
 そのたびにいわゆる失言として陳謝や撤回で終わるのだが、この言葉を口にする人々の頭の中は変わらない。
 政治家たちにすれば、単一民族だから統治しやすい(はず)という思いがあるのだろうが、彼らに任せているうちに日本はどんどん衰退してしまった。
 この発言のどこがいけないのか?
 その第一は基本的人権への抵触。民族というのは血統による前に自覚の問題である。自分はヤマト民族ではないと思う人が一人でもいるかぎり、単一民族という言葉はその人の存在を否定してしまう。あなたはいない、と言うのと同じ。
 第二は、文化的な均一化が国の力を殺(そ)ぐこと。文化においては多様性こそ力である。異質のものの衝突から新しいものが生まれる。二十世紀アメリカの隆盛はその好例だろう。
 日本でも、沖縄・奄美出身の人々がここ二十年の間に芸能の世界で果たした役割を思えば、異文化の力がわかるはずだ。

     

 「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が画期的な報告書を提出した。ほぼ同時に一私学である札幌大学が新しい制度を始めた。
 アイヌの子弟に奨学金を支給し、未来のアイヌ文化の担い手として育成するというものだ。
 この奨学金を受ける学生は主専攻は自由に選べるが、副専攻としてアイヌ語、アイヌ文化、北方史などを学ばなければならない。また、札幌大学埋蔵文化財展示室のサポートスタッフとしての活動も期待されている。
 人種・民族によって大学入試などで別枠を用意する制度は1950年代のアメリカで公民権運動の一つとしてはじまり、アファーマティブ・アクションと呼ばれた。憲法以下すべての法律で平等を謳(うた)っても、現実の社会では差別はなくならない。大学への進学率を見れば、白人とアフリカ系の間には歴然たる差がある。経済的な事情が学力を阻害している。それならば彼らの入学を少し容易にして、制度によって教育の機会均等を実現しようという考えである。
 当然、逆差別だという異論が白人の受験者の側から出てきた。だが、それは入試という人生の一点だけを見てのことであり、生まれて以来の環境を辿りなおせばそこまでに多くの不平等があったことは否定できない。

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