《新聞・雑誌記事より》

野中 星w
【貧困なる精神 (413)   ┏━━━━━━━┓   ┃何度でも言う、┃   ┃千 島 全 島 は┃   ┃ロシアの侵略だ┃   ┗━━━━━━━┛   本多 勝一】

貧困なる精神 (413)   ┏━━━━━━━┓   ┃何度でも言う、┃   ┃千 島 全 島 は┃   ┃ロシアの侵略だ┃   ┗━━━━━━━┛   本多 勝一

〔&w〕


〔週間『金曜日』〕
<2009.10.30(773号)より>

 ニューヨークからの報道によれば、鳩山由紀夫首相はロシアのメドベージェフ大統領と市内で行なった初の首脳会談で、祖父の鳩山一郎首相(当時)が1956年に日ソ国交正常化を果たしたことに触れて、「われわれの世代で領土問題を最終的に解決し、平和条約が締結されるように大統領のリーダーシップに期待したい」と延べ、領土問題の早期解決に意欲を示した。(『東京新聞』2009年9月24日夕刊)
 これに対してメドベージェフ大統領は「平和条約交渉を一層精力的に行っていきたい。独創的なアプローチを発揮する用意もある」と応じ、同時に「法的な範囲の中で議論を行うことも重要だ」として、平和条約締結後のニ島引き渡しを定めた1956年の日ソ共同宣言に基づき領土交渉を進める立場を強調した。(同夕刊)

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┃ ア イ ヌ が 定 住 ┃
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 上記の中で、ロシア大統領のいう「独創的」とか「法的な範囲」とかは何を意味するのだろう。この問題は本誌のこのページで「ロシアが火事場泥棒で侵略した千島列島」(2006年11月10日号)および「北方領土の『独創的』解決はできるのか」(2009年3月13日号)で書いたから繰り返さぬが、「法的な範囲」と大統領が言っても、その解釈自体からして日露の違いが大きい。手元の三種の百科事典における「北方領土」や、高倉新一朗『千島概史』(南方同胞援護会・1962年)・小林武二『千島』(千島返還懇請促進連盟・1950年)などから、原則的な事実だけ簡単にたどると――
 漂流者や季節狩猟・漁労者を別とすれば、最初の千島定住原住民はアイヌ民族と考えられ、かれらは北海道から次第に北進して、千島全島と樺太とカムチャッカの南部にまで達していた。「18世紀の初めには、列島は北海道本島の住民と同じ種族であるアイヌ民族によって占拠されていたのである。」(高倉・前掲書)
 それが、北からのロシアと南からの日本によって次第に侵食・侵略され、1854年(安政元年)には日露通商条約によって、択捉島とウルップ島の間(択捉海峡)が国境とされた。幕府はこれ以南の南千島を仙台藩に警備させ、1869年(明治ニ年)になると北海道開拓使が南千島を五郡に分けて統治した。そして1875年(明治8年)、樺太千島交換条約によって「平和のうちに全列島が日本領となった。」(小学館『大日本百科事典』)
 ところが、米・英・ソ(ロシア)三国によるヤルタ秘密協定(日本敗戦の半年前)によって、ソ連は日本との条約()を一方的に破って千島を侵略・占領したばかりか、北海道は根室半島の延長上にある歯舞諸島と色丹島までも占領した。千島全島にしても「平和のうちに」(前述)日本領になったが、とりわけ南千島はアイヌ時代も含めて以前からの日本固有の領土であって、ロシアとは全く関係ない。だからこれは、日本敗戦のドサクサに乗じての明白な侵略である。要するにシベリア侵略の延長上にある侵略国家ロシアの素顔なのだ。
 この侵略史は、アメリカ大陸におけるヨーロッパ人の侵略(せまく見ても合衆国ワシントン政権以来の侵略)と時期も方法もよく似ている。ウンデッドニーの戦い(1890年=明治23年)で先住民族(俗称アメリカ=インディアン)を最終的に虐殺した合衆国侵略軍は、そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。イラク侵略もアフガン派兵もその延長上にあったが、ブッシュ政権を最後にこの何百年もの侵略史はつまずき、オバマ政権の現在に到る。

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