《新聞・雑誌記事より》

野中 星w
【┏━━┓        ┃検証┃        ┗━━┛         昭和報道        145         日ソ復交と国連加盟堰@(2009.11. 7朝日新聞より)】

┏━━┓        ┃検証┃        ┗━━┛         昭和報道        145         日ソ復交と国連加盟(i127) (2009.11. 7朝日新聞より)

〔&w〕
☆彡nochiwさんのまち

朝日新聞1955年8月20日付1面
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│朝日へのリーク│
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 「領土問題 政府の方針成る」
 朝日新聞は1955(昭和30)年8月20日付の1面トップで、日ソ交渉をめぐる日本政府の方針転換をスクープした。
 「樺太・北千島を放棄」「南千島は譲らず」「ハボマイ シコタン諸島、現に日本領」
 北千島は択捉の北にあるウルップ島以北、南千島は国後・択捉をさす。つまり、歯舞・色丹・国後・択捉の4島一括返還を求めるわけだ。
 実は日本の外務省は、日ソ交渉が6月からロンドンで始まる際、現地の全権団に交渉方針を指示する「訓令」を送っていた。外務省は今もその存在すら明かさないが、1970〜1980年代に出た複数の回顧録や研究書によると「北方領土は歯舞・色丹の返還を最優先する」との内容だったとされる。米公文書などでその信憑性を確かめた田中孝彦早大教授は「歯舞・色丹返還が交渉妥結の最低条件として規定されていた」という。とすれば、外務省は2島先行返還で手を打つ選択肢を交渉前から用意していたことになる。
 8月初旬、ソ連は歯舞・色丹を返還する譲歩案を示した。くしくも、日本が訓令で設定した最低線に一致。交渉妥結かと思われた矢先、朝日が報じた通り、外務省は一転して4島一括返還を求めるようロンドンの全権団に指示。ソ連側は硬化し、交渉は決裂する。朝日の記事は結果的に、2島先行返還の阻止に一役買った。
 自著でこの朝日記事を取り上げた和田春樹東大名誉教授は「ソ連が予想外の譲歩案を出したことで、にわかに妥結しそうになり、日本の復交反対派があわてて、交渉を膠着させる狙いで4島一括にハードルを上げる動きに出た」とみる。当時の外相重光葵は、いずれは交渉をまとめたいと考えていたが、吉田茂と相通じて日ソ復交に否定的な外務官僚も跋扈していた。
 復交反対派が「2島」から「4島一括」に要求のハードルを上げ、その既成事実化を狙って朝日にリークした可能性は否定できない。
 冒頭の朝日記事は「政府が交渉の当初『南樺太、千島についても返還要求をする』といっていた線に比べるとソ連側にもかなり受入れられ易い形のもの」と書く。だが、ソ連が4島返還を受諾しやすいという見方は楽観的過ぎた。
 そもそもソ連は択捉・国後の返還を強硬に拒否し、南樺太・北千島の返還など論外という立場だった。朝日の政治部長の中村正吾が、1956年1月1日付で「ソ連がハボマイ・シコタン両島以外の日本帰属を認めることはとてもあり得ない」という外務省の見通しを紹介している。
 この点でも、朝日のスクープは、復交反対派の思惑に乗った可能性が高い。

アクセスアップの革命


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